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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)5030号 判決 1966年4月06日

原告 高林文和

右訴訟代理人弁護士 小林保夫

同 石川元也

右復代理人弁護士 上田稔

被告 大阪府

右代表者大阪府知事 左藤義詮

右訴訟代理人弁護士 道工隆三

同 長義孝

同 木村保男

主文

一、被告は原告に対し一二、三六八円およびこれに対する昭和三七年一二月一三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四、原告勝訴の部分に限り、五、〇〇〇円の担保を供するときは、かりに執行できる。

事実

第一、申立て

一、被告は原告に対し二〇六、〇三七円およびこれにする昭和三七年一二月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告は第一タクシー株式会社に勤務する自動車運転手であるが、昭和三七年九月二八日午後六時三〇分頃原告主張の自動車を運転して堺市出島浜通り二九五番地先の国道二六号線路上を南から北に向って進行していた際に、自動車の速度違反を取締中の大阪府警察本部機動隊執行課所属の警察官(以下警察と略称するか、警察官の官氏名による。)の指示により停車したところ、速度違反の理由で運転免許証の提示と速度測定機指針の確認を求められ、これを拒絶して警察に逮捕せられたことは当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。

本件事故の発生した国道二六号線は、南北に通ずる、巾員約一八・四米の車道の両側に巾員約四・五米の歩道を伴った、大阪―和歌山を結ぶ唯一の幹線道路であって、自動車の交通量は極めて繁しく、交通事故もよく起り、同年一月から八月までに同線の大和川から石津川の間で七件の死亡事故が発生していた。本件事故のときにも午後六時頃より速度違反の自動車が増加して、平均二、三分おきに検挙されている有様であった。

前記速度取締りに警察の使用していた電気時計式速度測定機によると、制限時速四〇粁で所要時間九秒の別紙図面A、B間の両線の間一〇〇米を、原告の運転する自動車は、六・五秒(時速五五・四粁)で通過したことが記録された。そこで、警察は原告を別紙図面のD点の歩道に沿って停車せしめ、巡査森本貞夫が、「スピード違反ですよ。免許証」と告げて、運転免許証の提示を求めた。原告は、警察官の運転する白バイの後を同一速度で進行していたので、速度違反にはなっていないと思っていたため「スピード違反はしていないから、出す必要はない」と答えて応じなかった。

同巡査は「スピードを出しているか、出していないかはメーターで計ってるから、見に来い」といって、測定機の指針確認のために下車することを求めたが、原告は「車から出る必要はない」といって下車しようともしないし、免許証の提示もしなかった。

同巡査は巡査溝部富士夫を呼んで原告の監視を頼み、別紙図面のC点の建設省南部出張所の正面南側にいる籠谷巡査部長にその旨を報告したところが、「連れてこい」と指示された。同部長は、任意捜査によることを期待していて、やむを得ないときは逮捕してもよいという趣旨で右指示をしたものであって、そのため「逮捕」という言葉は使わなかったのであった。森本巡査は右指示の趣旨を了解したが説得による任意同行は技術的に不可能であり、原告を逮捕する外はないと判断して引き返した。

この間監視を担当していた溝部巡査は、右自動車の運転席の右側に行き、原告に対し「そんなこといわないで、免許証を出せ」と穏やかに話しかけたので、原告は自動車の左ドアの雑書入れから免許証を取り出して同巡に渡すべく手に持った。

ちょうどこの時森本巡査が戻って来て、溝部巡査から監視中の経過についての連絡を受けもせず、または任意捜査のために免許証の提示ないし同行を求めることもせずに、自動車の右ドアを開けて、突然右手を原告の右肩にかけ「逮捕する」といった。

これに驚いた原告は、左側の補助席の方に後ずさりした。そこで、同巡査は右手で原告のワイシャツ風の作業服をつかんで車の右側の車道上に引っ張りだしたが、その際原告は、「シャツが破れる」とさけびながら車外に出た。

同巡査は、原告を籠谷巡査部長のところに連行すべく、右手で原告の作業服の左肩附近をつかみ、直に歩道に上ることを妨げるような特段の事情もないのに、西側歩道の外線から三米位離れた車道上を歩道に平行して、あとずさりしながら原告を引っ張って行ったが、原告は大声で、「警察官が暴力を振ってよいか」「はなしてくれ」「こんなことされる、みんな見てくれ」などとさけびながら連行されていた。このようにして約一〇米位進行したところで二人がからみ合って原告が転倒したが、同巡査は原告の左肩と右肘をつかんだままであったので、そのまま原告を引きずり起した。原告はこのとき負傷し、衣類も破損した。

本件事故当時原告は腸の入院手術による治療後数箇月を経過したばかりで、体力も十分回復していない状態であったが、これに反し森本巡査は柔道二段の技能を有する堂堂たる体格の持主であった。

以上の事実が認められる。≪証拠判断省略≫

三、なお原告が転倒した直接の原因については、

原告本人は「森本に引っ張られて、私の自動車の後方一〇米位の所で私が後退するような姿勢をとったので、その場所でとまるような形になったのだと思います。そこで森本は私の胸ぐらをつかんだまま、私の右足のふくらはぎの所に足をかけて倒したのです。たまたま争っている間に足がもつれて入ったと言うようなことではありません。私の手で相手の手を持っていたかどうか記憶していません。倒れ方は左を下にして頭は車道向に足は歩道向でした」と供述しているが、

森本巡査は証人として、「車の後部まできたとき、原告は私の両腕を持って前へ押してきて車道へ出そうになったので、私は原告を後へ押しました。ちょうど前へ引張り後へ押すような形になって、そのとき私の右足が前へ出ていて原告は急に引繰り返ったのです。そのとき私の左手は原告の右肘をつかんでいました。

原告は私が引いて押し返したので反動で引繰り返ったのですが、ちょうど柔道の空気投のような形で私の右足に原告の左足が当り原告が倒れたものと考えられます。」と供述しており、

前記事情のもとでは、このいずれの場合もあり得ることであるが、他に適切な証拠がないので、そのいずれであったかを確定することができない。証人田中寛志は「警察官が運転手の足をけって倒した」旨を供述しているが、同証人の見ていた位置と本件事故当時の明るさなどから考えると、森本巡査の供述するとおりの状態であっても、同証人にはその供述のとおりに見える可能性があるので、この供述は採用できない。

四、思うに、警察は犯罪の捜査、被疑者の逮捕、交通の取締りなどの責務を遂行するに当っては、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利および自由の干渉にわたるなどその権限を濫用してはならなく(警察法二条参照)、公共の安全秩序の維持と基本的人権の保障の双方を全うしようとする現行刑事訴訟法の下においては、犯罪の捜査に当っても、権限を濫用して全く不必要な被疑者の逮捕を強行し、または逮捕の方法に不当による不注意により、被疑者の身体および財産を害することは許されないものと考えられる。

原告は、前記認定のとおり森本巡査に対し、相当興奮して速度違反を認めず、免許証の提示にも肯じなかった。しかし、原告が監視中の溝部巡査に説得されて、免許証を提示すべく取り出して手に持っていたところから判断すると、その頃においては原告は、普通に要求すれば任意捜査に応ずる態勢にあったことは明らかであって、このことは、溝部巡査が証人としての「私が原告から免許証を見せてもらったらよかったと思いましたが、原告が免許証を出しかけたのを森本に引継ぎはしませんでした。私がそのことを森本に言っていたら、森本は原告を逮捕しなかったと思います。しかし原告は、免許証を見せないような雰囲気でした。」との供述からもうかがい知ることができる。溝部巡査の説得により原告がこのように態度をやわらげていたときに、森本巡査が溝部巡査から引継ぎの連絡を受けることもなく、早急に強引な手段によって原告を逮捕して、その必要もないのに歩行が禁ぜられている危険な車道上を、約一〇米もの間を前記のとおり不自然な態勢で連行したものであって、原告の負傷も衣服の破損も、右逮捕連行に起因していることは明らかである。

要するに、溝部巡査と森本巡査とが原告の態度の変化についての連絡を怠り、任意捜査により目的を達することができる状態であったのにかかわらず、森本巡査は任意捜査を可能ならしめるべき何等の努力も払わず、いたずらに逮捕の権限を行使して原告の感情を刺戟し、しかも逮捕に際しては、原告の下車を求めないで、あたかも兇悪犯に対するように、いきなり原告の作業服をつかんで危険な車道上に引っ張り出し、しかも作業服の右肩をつかむというような方法で車道上を連行するときは、通過する自動車に対する危険意識からする双方の力の交錯により、道路上に転倒する可能性があるから、できるだけ早く歩道に上るはもちろん、なるべく本人の任意歩行によらしめるべきであるのに、不注意にも右のような態勢で、車道上を約一〇米の間を連行したため、前記のとおり原告を転倒して負傷せしめたものである。

よって、森本巡査は、被告大阪府の公務員としての公権力の行使に当り、過失により違法に原告に損害を加えたものであるから、被告は原告の前記転倒に起因する受傷による損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

五、そこで更に進んで賠償額につき判断する。

1、≪証拠省略≫によると、原告は本件逮捕の際の転倒により作業服を破損され、その損害額は少くとも五〇〇円であることが認められる。

2、≪証拠省略≫によると、原告は、本件転倒によって顔面と左肘部擦過挫傷、左下腿部打撲傷の傷害を負い、ために、同年九月二九日から一〇月一日までの三日間は欠勤したこと(甲四号証に昭和三八年とあるのは、三七年の誤記と認められる)、および右傷害のための同年九月二九日に安慶名医院で診察を受けた際に、診断料一〇〇円を支払ったことが認められる。これは右傷害の加療のために必要な金員であるというべきである。

3、≪証拠省略≫によると、同三七年六月から九月分の実働日数による平均賃金は、一四八九円九一銭であることが認められるから、原告は右傷害による欠勤のため少くとも原告主張の四、一三七円を喪失し、右と同額の損害を蒙ったというべきである。

4、原告は他に手袋破損使用不能と、皆勤手当補償の損害を蒙ったと主張しているが、右事実を認めるに足りる証拠はないので、この点の原告の請求は失当として排斥を免れない。

5、≪証拠省略≫によると、本件逮捕の際二、三人の人がこれを見ていたことが認められる。原告が本件傷害により鼻部先端に後遺症を蒙ったと主張するが、これを認めるに足る証拠はない。この事実と前記の事実を合せて考えると原告の精神的苦痛に対する慰藉料は二〇、〇〇〇円を以て相当とするものと認められる。

6、以上合計二四、七三七円が原告の本件事故による損害というべきである。ところで、原告は森本巡査の免許証の提示の求めに対し、応じなければならない義務があるにもかかわらず(道路交通法一〇九条参照)、これを拒否し任意捜査に対して反抗的態度を示したものであって、原告が最初から素直な態度に出て任意捜査に応じていたならば、同巡査も原告を逮捕しなかったであろうし、逮捕後も大声を出して同巡査の感情を刺戟するようなことがなかったならば、同巡査も連行に際して原告の作業服をつかんで引っ張って行くようなことはしなく、したがって原告も、転倒負傷するようなことはなかったものと思われる。

結局原告の前述のような態度が、本件事故を誘発したものであることを合せ考えると、原告の右過失を斟酌して被告の賠償すべき損害額を一二、三六八円と定めるのを相当と認める。

六、したがって、被告は原告に対し右損害賠償金一二、三六八円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが、記録上明らかな昭和三七年一二月一三日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。よって原告の本訴請求はこの限度において正当であるから、これを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田覚郎 裁判官 木村輝武 白井皓喜)

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